みっちーの映画日記

私が観た映画の備忘録です!

「隣る人」を観て、ムッちゃんとの接し方に愛情を見た

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隣る人(2012)

監督:刀川和也

みっちーの満足度:☆☆☆☆☆(☆5つ)

 

 

「隣る人」の内容

 

舞台は、地方のある児童養護施設

 

様々な事情で親と一緒に暮らせない子どもたちが、保育士と共に生活をしている。ここは責任担当制という制度を敷いており、一人の子どもに対して、担当の保育士が決まっている。

 

そのため、子どもにとって保育士は親のようなものだ。

 

この施設のマリコさんという保育士が担当しているのは、ムツミとマリナ。ムツミはかなり生意気な子で、マリナは甘えん坊。二人ともマリコさんにやさしくしてもらいたくて、彼女を取り合ってケンカすることもしばしばだ。

 

そんなある日、ムツミの母親が、ふたたび子どもと一緒に暮らしたいという思いを抱えて施設にやってくる。母親の訪問に複雑な思いを見せるムツミ。そんな我が子を見て少し焦る母親。二人の絆は取り戻せるのだろうか・・・。

 

「隣る人」は、この施設「光の子どもの家」の生活を、8年にわたって密着しその日常と人々の姿を描いたドキュメンタリー映画だ。

 

 

「隣る人」を観て思ったこと

 

この映画を観ようと思ったのは、上映後に俵万智さんのトークイベントがあると知ったからだ。

 

俵さんは、その数日前に、ツイッターでこのように言っていた。

 

「子どもと関わる全ての人に観てほしい」と俵さんが言ったこの映画、観終わったあと、確かに俵さんと同じように「全ての人に観てほしい」という思いになった。

 

さて、この映画のタイトルにある「隣る」というのは、言うまでもなく「隣」という名詞を動詞のように変形させたもので、日常では使わないことばだ。

 

製作者側は、たぶん「寄り添う」に近い意味で「隣る」を使っているのだと思われる。つまり「隣る人」とは「寄り添う人」という意味に近いのかな。ただ、「寄り添う」だとくっついているようなニュアンスがある。

 

確かに、保育士さんたちは子どもたちのそばにいてあげている。しかし24時間ベッタリくっついて離れないわけではない。そんなことをしていたら子どもたちが自立できないからね。

 

だから「寄り添う」ではなく「隣る」なのだろう。いつもどこに行くのにも一緒というわけではないが、あるときは一緒に過ごしてあげたりする。そしてあるときは突き放したりもするだろう。でも、心の支えであることは変わりない。

 

そういう意味で、保育士のマリコさんは子どもたちにとって「隣る人」だったと言える。

 

最も印象的だったのは、ムツミの誕生日のときにマリコさんが言ったことばだ。

 

どんなムッちゃんも好き

 

甘えん坊の子どもを見ているととてもかわいい。笑っている顔や喜んでいる顔などはずっと見ていたいものだ。

 

ところが子どもは気まぐれ。ときにはとても生意気になり、つい怒りが爆発しそうになることもあるだろう。ふつうの人なら手が出てしまうこともあるかもしれない。

 

甘えん坊であっても、生意気であってもムッちゃんはムッちゃん、どんなムッちゃんでも好きだ、とマリコさんは思っているのだ。

 

そういう思いで、マリコさんはムツミに接している。マリコさんは完全にムツミの「隣る人」である。マリコさんはかけがえのない存在なのである。

 

俵万智さんはこの映画を観て

愛情とは、何か特別なことをしてやったり、

まして期待したりすることではない

 とコメントしている。

 

愛情とは、マリコさんみたいに「隣る人」になろうとすることなんだろうね。簡単なようでとても難しいことだ。

 

 

最後に・・・

 

人が一人で生きていくのは難しい。人の愛情が人に生きていく希望や活力を与える。

 

そういう意味で、人には「隣る人」が必要だ。

(特に子どもにはね)

 

誰かの隣にいて、同じ時間を共有し、ときには心を受け止める、そんな存在が人には必要だ。

 

私も、誰かの「隣る人」でありたいなぁと痛切に思う。